なんとなく日差しが春に近くなってきて
2010年 01月 24日
一月二十四日(日)
雪の予報は出ていても積雪の心配のない終末でした。
風は随分冷たいけれど
なんとなく日差しが変わってきたように感じます。
午前中はいつものアパートのほうの仕事をする方が来たり
今日はお昼を家族で駅前のインド風のカレーとナンを食べに行ったり
お風呂タイムの楽しみになっている入浴剤を買いに行ったりと
いつもの平和な日曜日でした。
当たり前なのかもしれないけれど
こういう当たり前のことがなんだかとてもありがたくて貴重なことに
思うのはきっと歳をとったからですね。
午後、少し昔の写真を整理していたら
あまりにいろいろとなつかしく
心が満たされて
大切なことを思い直せてよかった
母のお葬式に父と子供達と兄の子供達とかの写真が
悲しいのに不思議な安らぎと優しさを与えてくれる。
父とその時小学四年生の末っ子と
中学の二人の娘と
当時大学生だった甥とかが
写っている。
もう八年近くも前なんだなあ。
娘達が小学校時代、一年、四年、六年生で通っていた
ある日の冬の写真。
ああ、ただなつかしい。
おととし、harappaで荒井良二さんの個展があった時
すごく子供達のことがいつも思い浮かぶように思えて手元におきたくなった絵。
小さいものだけれど
買っておいたものを
今日になってやっと飾った。
雪の予報は出ていても積雪の心配のない終末でした。
風は随分冷たいけれど
なんとなく日差しが変わってきたように感じます。
午前中はいつものアパートのほうの仕事をする方が来たり
今日はお昼を家族で駅前のインド風のカレーとナンを食べに行ったり
お風呂タイムの楽しみになっている入浴剤を買いに行ったりと
いつもの平和な日曜日でした。
当たり前なのかもしれないけれど
こういう当たり前のことがなんだかとてもありがたくて貴重なことに
思うのはきっと歳をとったからですね。
午後、少し昔の写真を整理していたら
あまりにいろいろとなつかしく
心が満たされて
大切なことを思い直せてよかった
母のお葬式に父と子供達と兄の子供達とかの写真が
悲しいのに不思議な安らぎと優しさを与えてくれる。
父とその時小学四年生の末っ子と
中学の二人の娘と
当時大学生だった甥とかが
写っている。
もう八年近くも前なんだなあ。
娘達が小学校時代、一年、四年、六年生で通っていた
ある日の冬の写真。
ああ、ただなつかしい。
おととし、harappaで荒井良二さんの個展があった時
すごく子供達のことがいつも思い浮かぶように思えて手元におきたくなった絵。
小さいものだけれど
買っておいたものを
今日になってやっと飾った。
by koyomidon
| 2010-01-24 17:30
| 日記