福島に帰省してきました。
2012年 08月 29日
今回は埼玉から上二人の娘達と
福島で落ち合い、三人での帰省でした。
夏の福島が本当になつかしい。
この時期稲が一面に大海原のようになる。
実家の前の道路。
この先に地蔵様があって、子供の頃はいつもそこで遊んだ。
二泊三日の帰省でしたが、ほんとうに外で遊ぶ子供の姿を一人も見なかった。
娘達にアルバムをみせました。
真ん中が祖父で向かって右隣にいるのが父。
祖父は若い頃の二十年間をアメリカで暮らしたそうだ。
祖父母やおじおば達。
毎朝、庭に丁寧に水をかける父、背筋しゃんとしている88歳
母のお墓参りに行く時による花屋さんの一角に今年も桃と梨の自販機が。
採れたての硬い桃の美味しさ。買って帰りましたが、本当に美味しいんだよ。
土日ということで
本当に何年ぶりかで兄夫婦のお宅に行き
久しぶりにゆっくり話ができたのが嬉しかった。
私の敬愛してやまないユーモアにあふれて優しい兄達。
二日に渡って呼んでくれて、美味しい手料理やら、お菓子やら
わいわいがやがやというか本当に思いで深い時間を過ごしました。
元気でいてほしいです、いつまでも。
そんな家の中でも0.4マイクロシーベルトという放射線量計の値。
外に出てまた置いてみるとどんどんあがって、1、3マイクロシーベルトくらいになる。
こういうこととともに暮らしがあります。
これが今の福島の現実。
行った日はもちろん、福島の円盤餃子。
兄に教えてもらって今回は
「照井」というところの餃子を食べましたが、
ほんとにほんとに美味しくてもちろん全部食べました。
父の喜ぶ顔みたくて帰省するのだけれど
楽しそうだった。
娘達もおじいちゃんが大好きで楽しそうだった。
また一緒に美味しいお酒飲めるといいなあ。
福島で採れたものを
私はいま検査されて安心だとされているものは
食べていいと思うし、もう普通に食べている。
弘前の市場に残念ながら福島の桃が今年は並んでいないけれど
私は大丈夫であるとわかってきたし食べます。
正直言うと去年の六月に行った時よりも
元気がないと感じました。
この地に生きていくということを思います。
いろんなことを思った帰省。
受け入れていく。
そして、やはり考えていく。
私の中には福島への思いが変わらず流れており
美しい福島は私の心の帰る場所であるのです。
福島で落ち合い、三人での帰省でした。
夏の福島が本当になつかしい。
この時期稲が一面に大海原のようになる。
実家の前の道路。
この先に地蔵様があって、子供の頃はいつもそこで遊んだ。
二泊三日の帰省でしたが、ほんとうに外で遊ぶ子供の姿を一人も見なかった。
娘達にアルバムをみせました。
真ん中が祖父で向かって右隣にいるのが父。
祖父は若い頃の二十年間をアメリカで暮らしたそうだ。
祖父母やおじおば達。
毎朝、庭に丁寧に水をかける父、背筋しゃんとしている88歳
母のお墓参りに行く時による花屋さんの一角に今年も桃と梨の自販機が。
採れたての硬い桃の美味しさ。買って帰りましたが、本当に美味しいんだよ。
土日ということで
本当に何年ぶりかで兄夫婦のお宅に行き
久しぶりにゆっくり話ができたのが嬉しかった。
私の敬愛してやまないユーモアにあふれて優しい兄達。
二日に渡って呼んでくれて、美味しい手料理やら、お菓子やら
わいわいがやがやというか本当に思いで深い時間を過ごしました。
元気でいてほしいです、いつまでも。
そんな家の中でも0.4マイクロシーベルトという放射線量計の値。
外に出てまた置いてみるとどんどんあがって、1、3マイクロシーベルトくらいになる。
こういうこととともに暮らしがあります。
これが今の福島の現実。
行った日はもちろん、福島の円盤餃子。
兄に教えてもらって今回は
「照井」というところの餃子を食べましたが、
ほんとにほんとに美味しくてもちろん全部食べました。
父の喜ぶ顔みたくて帰省するのだけれど
楽しそうだった。
娘達もおじいちゃんが大好きで楽しそうだった。
また一緒に美味しいお酒飲めるといいなあ。
福島で採れたものを
私はいま検査されて安心だとされているものは
食べていいと思うし、もう普通に食べている。
弘前の市場に残念ながら福島の桃が今年は並んでいないけれど
私は大丈夫であるとわかってきたし食べます。
正直言うと去年の六月に行った時よりも
元気がないと感じました。
この地に生きていくということを思います。
いろんなことを思った帰省。
受け入れていく。
そして、やはり考えていく。
私の中には福島への思いが変わらず流れており
美しい福島は私の心の帰る場所であるのです。
by koyomidon
| 2012-08-29 16:27
| 日記